令和というコトバと共におぎゃあと産まれた何者でもない私たち。

令和という麗しい元号が発表されてから社会はまるで今産まれた赤ちゃんのように賑わっている。

新しいコトバという名の新しい風が吹いた瞬間は私たち一人ひとりの内部に溜め込んだ古い概念、パターンが祓われた瞬間だ。

それは平成という時代が終わった時に私たちの中の何かが確実に終わったことを意味している。

それは平成時代に社会の中で制限されていると感じた過去の自分だったかもしれないし、

認められないと嘆き何者かになろうとした過去の自分かもしれない。

時間というものは砂のようにサラサラと流れていき、今という瞬間も1秒後には過去になる。

毎日私たちは死んでは産まれているし、昨日より今日を、今日より明日を愛したいと私たちは願う。

その願いはざっくりいうと「もっとより自分らしく生きたい」という本能的な欲求を自分自身で叶えたいという祈りなのだと思う。

その祈りの本質こそが令和という元号が発表された時に私たちが感じた悦びの本性だし、

その悦びを感じたのなら、

この令和時代に私たちはきっと生き方や在り方を最も自分の本能的欲求に沿ったベストなカタチに仕上げるに違いない。

コトバというのは名付けのようなもので人をそのカタチに留めるだけの影響力がある。

だからこそ、コトバの行間に描かれる本質を感じ取れなければそれは時に呪いになり、凶器と化す。

そういう意味ではきっと令和というコトバでなくても他のコトバでもよかったのだと思う。

その新しいコトバにどんな印象を受けるかはその人の心象をそのままに表しているし、

そのコトバの力をどう自分のものとして活かしていくかも私たち個人に委ねられている。

そんな自分を貶める呪いにも、

自分と誰かのイノチを最大に生かすためのおまじないにもなるコトバの国に産まれて幸せだと思う令和元年1ヶ月前。

泣いては笑い、悶えては祓われ、この時代をコトバという曇りなき象徴と共に生きたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

関連記事

Lyrics

PAGE TOP