今日もしわたしが死んだとしても変わらないこの美しい世界へ。

自分の生き方をもう変えようと決めたとき、
そして自分の在り方を目に見えるカタチとして
この世界に表現しようと思ったときに私たちは「革命」を起こす。

そしてそのとき、まず必要不可欠なものはいつも剣でありコトバだ。

もし私たちがこの世にたったひとりならば
生きたいと思うだろうか。

そうなればもはや
生きる目的などそこにはなく
もはや老いることも死ぬことも恐怖ではなくなるだろう。

それどころかその「終わり」は強烈な痛みを伴ったとしても救いになるに違いない。

でももし私たちが肉体の死という救いではなく
革命によっていのちを産み出したいのであれば、もう自分以外の異質な誰かがこの「わたしのいのちの営み」に大きく関わっていることを諦めるしかない。

たとえこの創られたいのちの目的が毎日繰り返すただの軽作業だと思えたとしても。

暴走する感情と反比例する
重すぎる肉体を嘆く日でさえも。

痛みも暗闇も恥も失敗も罪も抱えずにその先には行った者を私たちは知らない。

もういよいよ
その革命を起こすきっかけをくれたもはや亡霊のような何者かを潔く殺さなければならないのだと思う。

死にたいと思うほど生きたがっていた私たちは
きっと本当に大切なことを忘れすぎている。

繋がれないという痛みは
いつまでも自分の本当の「生きたい」を思い出せない痛みだ。

今それぞれがいるその現在位置。
自分だけが見ることが出来るその現在位置。
今日私ひとりが死んだとしても何も変わらないこの美しい世界に、何を植えようか。

そんなくだらない話を朝までしていたい。

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